大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)9651号 判決

原告

吉本久二夫

右訴訟代理人弁護士

松丸正

中西裕人

被告

医療法人廣崎会

右代表者理事

廣崎弘一

右訴訟代理人弁護士

河田日出男

岡野英雄

平田薫

主文

一  被告は、原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和五七年一二月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告が被告に対して雇用契約上の従業員たる地位にあることを確認する。

三  被告は、原告に対し、金七七万七二九〇円及び昭和五七年一一月以降毎月二八日限り一か月金九万六〇〇〇円の割合による金員を支払え。

四  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の、その四を被告の各負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、五二万二〇〇〇円及びこれに対する昭和五七年一二月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  主文二項同旨

3  被告は、原告に対し、一〇五万円及び昭和五七年一一月以降毎月二八日限り一か月一二万六〇〇〇円の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  1項及び3項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

請求の趣旨2項の訴えを却下する。

2  本案についての答弁

(一) 原告の請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(雇用契約の締結)

原告は、昭和四五年五月一八日、被告と雇用契約を締結し、後記抗弁欄4(一)記載の懲戒解雇の意思表示がなされた昭和五七年六月一〇日当時、被告から、毎月二八日限り、左のとおり一か月二一万円の賃金の支払いを受けていた。

(内訳)

本給及び職域手当 一六万円

出張手当 三万円

努力手当 一万円

皆勤手当 一万円

以上合計 二一万円

2(故意による不法行為)

(一) 被告は、原告に対し、昭和五六年六月二七日から昭和五七年六月七日までの間、別紙(1)博多出張日程表のとおり通算二六一日にわたり(これは、右期間の全日数三四九日の実に七〇パーセントを越える。)博多に出張して福岡市内の各病院、医療施設等を巡回し、被告の経営する廣崎病院(以下「病院」という。)に勤務できる看護婦を捜してくるようにとの出張命令を発し(以下「本件出張命令」という。)、原告を右出張業務に従事せしめた。

(二) しかしながら、本件出張命令は、看護婦採用のためというのは名ばかりで、真実は、次に述べるとおり原告に対する報復並びに原告の退職申出を慫慂させるための精神的拷問にも等しいいやがらせを目的としたものであり、明らかに業務命令権を濫用したものである。

すなわち、被告代表者理事廣崎弘一(以下「弘一理事長」という。)は、被告が法人税法違反の罪で摘発された昭和五四年から昭和五五年一月にかけ、当時病院の会計課長及び被告の経営する大阪杏産株式会社の会計事務全般の仕事にあたつていた原告が、国税局及び検察庁の取調べにおいて被告に不利益な供述をしたこと、その後原告が、右取調べの心労等から反応性うつ病に罹患し、同年一月二六日から同年三月二五日までその治療に専念したため、欠勤したこと、同月二六日、原告が、右病気が完治したので出勤したところ、右のような状態に陥入つた原告に対する猜疑心から、原告を職場から追放しようとして、被告が、原告の出勤を拒否したため、原告は仮処分を申立てて勝訴し、同年八月二二日職場復帰を果たしたこと、しかるに、被告は、原告を右病院の会計課長から降格させ、役職手当をカットするとともに、原告に対し、福祉事務所、老人福祉施設等を廻つて患者を集めてくるように命じ、原告をいわゆる外廻りの仕事に従事させようとしたので、原告が、同年一二月四日原職復帰を求めて大阪府地方労働委員会に不当労働行為救済命令の申立てに及んだことなどから、原告に悪感情を抱き、原告に対する報復並びに精神的拷問にも等しいいやがらせを加えて原告の退職を慫慂する手段として本件出張命令を発したものである。

3(被侵害利益)

人間は、家庭を生活の基礎として維持確保する権利を有しており、その不可欠の前提として「家族と起居を共にする権利」を有しているのであつて、右権利は憲法一三条、二五条に立脚する法的な保護に値する利益である。

また、労働者は、人間として個人の尊厳を重んじられるべき利益を有しており、労働契約関係下においても「労働者としての誇り」を全うするため業務上不必要ないし不相当な業務命令により右誇りを害されない利益を有する。

しかるに、被告は、原告に対し、前記のように業務命令権を濫用して本件出張命令を出し、原告を右出張業務に従事せしめたため、原告は、昭和五六年六月二七日から昭和五七年六月七日までの間、前記のとおり、その全日数三四九日のうち、実に七〇パーセントを越える二六一日にもわたり家族との別居を余儀なくされ、右人格的諸利益を著しく害された。

4(損害及びその金銭的評価)

原告は、本件出張命令に従事した結果、前記のように人格的諸利益を害され、妻並びに小学五年生及び三年生の二人の子供をかかえた家族から一家だんらんの機会を奪われるとともに、妻との語らい、子供らとの接触もままならない状態となり、家庭をめぐる諸行事に参加することもできず、甚大かつ深刻な精神的苦痛を被つた。

右精神的苦痛に対する慰謝料は、別紙(1)博多出張日程表の出張日数中二六一日につき、一日二〇〇〇円を下廻ることはないから、合計五二万二〇〇〇円が相当である。

5(地位確認の利益)

被告は、原告を懲戒解雇したとして原告の雇用契約上の従業員たる地位を否認してこれを争つている。

6(結論)

よつて、原告は、被告に対し、不法行為にもとづく損害賠償として五二万二〇〇〇円及びこれに対する右不法行為の後である昭和五七年一二月三〇日(本件訴状送達の翌日)から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、原告が被告の従業員たる地位にあることの確認及び右雇用契約上の賃金請求権にもとづき昭和五七年六月以降同年一〇月までの未払賃料合計額一〇五万円と原告が医療法人仁泉会阪奈病院に勤務しはじめた同年一一月以降毎月二八日限り右賃金月額の六割にあたる一二万六〇〇〇円の割合による金員の各支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は、出張手当、努力手当、皆勤手当が所定時間の就労の対価として支払義務を負う賃金としての性格をもつとの点を除き、すべて認める。出張手当は出張業務を中心として職務への精勤があつた場合に、努力手当は職務に対する努力があつたと認められる場合に、皆勤手当は欠勤が皆無の場合に、それぞれ奨励の意味において、恩恵的・任意的に支給されるもので、いずれも評価されるだけの現実の就労のあつたことが支給の前提条件となるものである。

2  同2(一)の事実は認め、(二)のうち、本件出張命令が原告主張のような目的のもとに業務命令権を濫用してなされたとの点は否認する。

3  同3は、原告主張の「家族と起居を共にする権利」、「労働者としての誇り」が不法行為において保護されるべき利益であるとの主張は争い、右各利益を被告が侵害したとの点は否認する。

4  同4は否認する。被告は、原告から、病気、労働委員会や裁判所への出頭、法事、運転免許証の更新等を理由として申出があつたときは、出張期間からその日をはずすように配慮していたのであつて、原告主張の損害は発生していたとは考えられない。

5  同5は認める。

三  抗弁

1(「本案前の抗弁」1訴えの利益の欠缺)

原告は、昭和五七年一〇月二一日ころ医療法人仁泉会阪奈病院に就職し、そのころから被告へ復職する意思を全く喪失するに至つたものであるから、被告に対して従業員たる地位の確認を求める訴えの利益を有しない。

よつて、原告の右確認を求める訴えは却下されるべきである。

2(不法行為の違法性阻却事由)

本件出張命令は、病院の看護婦不足の現状にかんがみ、専ら募集の業務上の必要性があつて出されていたものである。即ち、関西地方の各私立病院が看護婦不足の状況にあることは広く知られているところにあるが、これに対し、九州方面は比較的他の地域に比べて看護婦が余つており、大阪の各病院の場合九州出身者が多く雇用されている状態にある。そして、募集の方法としては、単に広告や既成の人脈を頼るという方法だけでなく、直接現地に赴いてその状況を把握し、新しい人脈を形成することも大事であつて、そのためには地道に何度となく出張を重ねて努力する必要がある。この観点からみると、本件出張命令は、その募集の業務上の必要性においてもその募集の態様においても何ら違法性を主張されるようなものではなかつた。

3(黙示の退職)

また、原告は1記載の日時に前記阪奈病院に就職したのであるが、給与その他の待遇が被告に勤務しているときよりも相当良かつたのでこれに満足し、さらに仕事面でも満足していた状態であつたことなどから、そのころ被告に対し、退職する旨の黙示の意思表示をしたものというべきである。

4(懲戒解雇)

(一)  被告は、原告に対し、昭和五七年六月一〇日、原告が同月九日被告の理事廣崎キミ(以下「キミ」という。)に対して暴行を加え傷害を負わせたので、右行為は被告の就業規則五六条三、四、七号に該当するものとして、同規則五七条五号を適用して懲戒解雇としての性質をもつ免職処分の意思表示(以下「本件懲戒解雇」という。)をした(なお、右就業規則五六条、五七条の規定は、別紙(2)のとおりである。)。

(二)  右暴行、傷害事件の概要は、次のとおりである。

すなわち、原告は、昭和五七年六月九日、午前八時三〇分ころ、被告から予め看護婦募集のために同日と翌日の二日間の博多出張を命じられていたにもかかわらず、事務所内の自席にすわつたままこれを拒否し続け、速やかに出張に出発するように注意をした弘一理事長に対し、暴言をはくなどしたため、キミがその言動を注意したところ、いきなり病院内に持ち込むことの許されていないテープレコーダーを取り出し、机の上において録音をし始めた。キミは、丁度その時失踪宣告を受けていた患者が死亡したことで外部から電話がかかつてきていたので、その通話内容まで録音されてはならないということもあつて、原告に対し、テープレコーダーをこちらに持つてくるように指示したが、原告がこれに従わなかつたのでやむを得ず原告の席に近づき、「預ります。」と言つて左手でテープレコーダーを持ち、背を向けて自席に戻りかけた。すると、原告は、いきなり背後からキミの身体に体当たりし、「この野郎、こうしてやる。」等と言いながら、キミの左腕を強くひつぱつてねじりあげ、その左手指にテープレコーダーの把手のひもをかけたうえ、右手で渾身の力をこめてそのひもをねじりあげて締めつけ、更に、左手でキミの左前腕部や左手背部を手拳で殴打する等の暴行を加え、よつて、キミに対し、左環指及び小指挫創、左前腕部及び手背部挫傷兼血腫の傷害を与えた。キミは、右受傷によりその後一一か月余経過した昭和五八年五月一九日現在なお加療を継続していたものであつて、主治医が後遺症の残ることを危惧するほどの重傷を負つたものである。

(三)  原告の右暴行傷害行為は、暴力はいかなる場合においても許されないという意味で強く非難されるべきことはもとより、暴力行為の厳禁をつとに根本方針としてきた病院内において上司たる婦人に前記のとおりの残忍な暴行を加え重大な結果をもたらしたものであつて、被告の職場秩序を著しく乱すものである。しかるに、原告は、現在に至るまで陳謝するなどの改悛の情を示す言動を一切とらず、逆に、右暴行行為を否認し、キミの自傷行為であると主張して責任を転嫁する態度に終始しているのであつて、本件懲戒解雇には相当の理由があるものである。

5(賃金請求権の消滅)

原告は、昭和五七年一〇月二一日ころ、被告へ復職して就労する意思を全く喪失していたことは、前記1記載のとおりであるが、賃金請求権はその前提として労働の意思を必要とし、かかる意思があつて初めてこれを請求しうるものと解すべきであるから、原告が右意思を喪失した前記日時以降は、賃金請求権を失うに至つたものと解すべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、原告が主張日時に被告への復職の意思を失うに至つたとの点は否認し、被告の法的主張は争う。

2  同2は全て否認する。

なお、本件出張命令は、出張期間がいずれも事前に原告に知らされることなく、出張の当日になつて初めて知らされていたこと、原告の家庭的な都合等は一切考慮されていないこと、出張の際の宿泊料としては一泊二七〇〇円しか与えられず原告は滞在中安宿を利用しなければならなかつたこと、原告は被告から募集すべき看護婦の賃金等の労働条件について指示を与えられておらず、万一仮に応募する看護婦が見つかつたとしても、原告がその場で右の点について説明することもできなかつたような状態であつたこと更に、本件出張が職業安定法三六条に違反すると解されることなどからすると、同出張命令が違法性を欠くものとは到底いえない。

(右事実に対する被告の認否) 出張期間を原告に予め知らせなかつたこと、原告の家庭的の都合等を一切考慮しなかつたとの点は否認し、原告に対し募集にあたつて労働条件を予め指示しなかつたことは認めるが、これは、原告が看護婦の労働条件の希望をきいてくれば、被告においてこれを尊重するようにしていたからである。また、原告に対しては、原告主張の宿泊料の他、各六〇〇円の昼夕食代、電話代、交通費等の実費も支給していた。本件出張命令が、仮に職業安定法三六条に違反するとしても、同法は、雇用される労働者の利益の擁護を目的として労働市場の秩序の維持をはかろうとする労働行政法規であつて、右違法が直ちに募集業務に従事する者に対する使用者の不法行為に結びつくわけではない。

3  同3は、否認する。

4(一)  同4(一)のうち本件懲戒解雇がなされたことは認める。

(二)  同4(二)のうち、原告が被告から命じられていた出張を拒否したこと、原告が持参したテープレコーダーを取り出して録音をし始めたこと、キミがテープレコーダーを取り上げようとし、これを防ごうとする原告ともみあいになつたことは認め、その余は否認する。

(三)  同4(三)のうち、原告が暴行をしキミに傷害を与えたとの点は否認し、本件懲戒解雇に相当の理由があるとの被告主張は争う。

5  同5のうち、原告が主張日時に被告への復職の意思を喪失したとの点は否認し、被告の法的主張は争う。

五  再抗弁

(懲戒解雇権の濫用)

仮に、原告に、キミに対する暴行傷害の事実が存在するとしても、以下の点を総合考慮すれば、本件懲戒解雇は、懲戒解雇権の濫用として無効である。

1 発生に至る経緯

原告は、昭和五七年六月九日午前八時三〇分ころに病院に出勤したところ、弘一理事長からキミを通じて当日と翌日の二日間にわたる博多への出張を命じられたが、従前から利用している列車を利用するかぎり、出張当日も翌日も看護婦募集業務に従事できる時間は僅かに各一時間程度であつたので、そのことを理由として申し立てて右出張を拒否した。すると、原告は、当日の昭和五七年六月九日から同月一六日までの出張を再度命じられたが、同月一一日には、両口通を原告とし、本件被告を被告とする大阪地方裁判所岸和田支部昭和五五年(ワ)第三〇一号雇用関係存在確認賃金支払請求事件の証人として原告が出廷する予定となつており、同月一六日には両口通及び原告を申立人とし、本件被告を被申立人とする大阪府地方労働委員会昭和五五年(不)第七五号不当労働行為救済命令申立事件の審問期日が予定されており、原告が申立人本人として出頭する予定であり、約一か月前から原告は被告に対し右各期日について有給休暇の請求をしていたので、右出張も拒否した。ところが、弘一理事長及びキミは、自席に坐つて右出張を拒否し続ける原告に対し、「直ちに出張しろ。出張しなければ職場放棄だ。給料は出さん。地労委や裁判へ出るのは出張期間中は自費で出ろ。」「まだ坐つているのか。出てゆけ。お前はゴミみたいな男だ。」、「出ていかんならつまみ出す。」などと暴言を吐き、実力で原告を病院外に排除する気配を示したので、原告は、これを防止し、或いは、その場の証拠資料とするために、予め持参していたテープレコーダーを取り出し、机上に置いて録音をし始めたところ、キミが自席から走り寄り、これをつかみとろうとした。

2 暴行行為の態様の相当性及び傷害結果の軽微性

原告は、テープレコーダーをまもるためこれを両手に持つて立ち上つたが、キミは両手をねじこんでこれをひつたくろうとし、その勢いに原告は身体のバランスを失つてよろけ、背後の木製書棚に背中をぶつけたりした。約二分間程度、このようにしてもみ合つていたが、弘一理事長が事務員東野和義に対し、「テープレコーダーを取つてこい。」と命じ、これに応じて右東野が原告に近づき、「吉本さん渡して下さい。」と申し向けた際、キミはテープレコーダーから手を離したのでもみ合いは終了した。

右もみ合いの際の原告の行為が暴行行為とされるものとしても、それは、キミによるテープレコーダーの奪取行為を防ぐための必要最少限度のもので防禦的なものにすぎないし、また、右行為の態様からみて、仮にキミが受傷しているとしても、その傷害は極めて軽微なものにすぎなかつた。

3 濫用目的の存在

前記請求原因欄2(二)で述べたとおり、被告の弘一理事長らは、原告が、被告の法人税法違反事件で被告に不利益なことを供述したこと、病気欠勤したこと、被告を相手方として仮処分や不当労働行為救済命令の申立てをしたことなどから、原告のことを嫌悪しており、本件出張命令に忍従する原告に追い討ちをかけ、原告を最終的に排除する目的で本件懲戒解雇に及んだものである。

4 適正手続の不履践

そして、被告は、原告に対して何ら弁明の機会を与えずに、その翌日である昭和五七年六月一〇日、いきなり本件懲戒解雇の意思表示をした。

以上によれば、本件懲戒解雇は、懲戒解雇権の濫用として無効なものというべきである。

六  再抗弁に対する認否

1  冒頭の主張は争う。

2  同1のうち、原告が当日午前八時三〇分過ぎに出勤したこと、原告に対し、二日間の出張を命じたこと、原告が右二日間の出張を拒否したこと、昭和五七年六月の一一日と一六日に原告主張の事件の審理があり原告が出頭する予定であつたこと、右両日につき原告から有給休暇の申請があつたこと、出張を拒否する原告との間で、出張しなさい、出張しない旨のやりとりがあつたこと、原告がテープレコーダーを取り出し、机上に置いて録音し始めたのでキミがこれを取り上げようとしたことはいずれも認め、その余は否認する。

3  同2のうち、弘一理事長が東野に命じ、原告の行為を止めに入らせたことは認めるが、その余は否認する。原告の暴行行為は、原告主張の程度にとどまらず、前記抗弁欄4(二)に述べたように積極的かつ攻撃的なものであり、キミの受傷の程度も原告主張のように軽微なものではなく、重大なものであつた。

4  同3のうち、原告を嫌悪し、排除する目的で本件懲戒解雇がなされたとの点は否認する。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

第一不法行為にもとづく損害賠償請求部分について

一請求原因1のうち、原告が被告との間で昭和四五年五月一八日雇用契約を締結したこと、同2(一)の被告が原告に対し、本件出張命令を発し、原告がこれに従つて出張したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、まず被告が原告に対し本件出張命令を発した目的が原告に対する報復並びに退職を慫慂することにあつたのか(請求原因2(二))、或いは、病院の看護婦不足の現状にかんがみ、専らその募集の業務上の必要性にもとづくものであつたのか(抗弁2)の点について検討する。

1  〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 関西地区の私立病院ではかねてから概ね看護婦不足の状況にあつたが、被告の病院においても本件出張命令当時も含めその以前から看護婦不足に悩んでおり、病院において働く職員らからも改善を要求されるような状態であつたので、被告では、以前から、弘一理事長らが、看護婦募集の広告を出すなどの方策を講じる一方で、被告の病院の職員に命じ、或いは、外部の者に委託するなどして、直接看護婦の比較的余つている九州方面や山陰方面などに赴かせて看護婦募集の業務にあたらせていた。その募集業務の態様は、主に、就職活動の始まる秋口や卒業前の春先などに、看護学校や看護科のある高等学校を廻つて希望者の紹介をお願いし、これを募るというやり方であつた。

(二) ところで、原告が被告に採用された昭和四五年五月一八日以降、被告から本件出張命令を命じられるに至る経緯は、次のとおりである。即ち、

(1) 原告は、採用当初から被告の病院の会計事務を担当し、昭和四七年一一月には会計課長となり、病院の事務の傍、被告経営にかかる大阪杏産株式会社の経理事務も担当していた。

(2) 被告は、昭和五五年一月上旬、法人税法違反の嫌疑で臨検捜索を受け、大阪国税局及び大阪地方検察庁の捜査を受けるに至つたものであるところ、同月一〇日、弘一理事長及び上月医事課長が逮捕される事態となり、被告の病院及び前記会社の会計事務を担当していた原告も同月一七日、一八日、一九日、二二日と取調べを受けた。当時、右捜査を受けたこともあつて原告の仕事は多忙をきわめ、同月一一日以降の原告の退出時刻は午後九時をまわることも多く、遅いときは午後一一時となることもあつた。

(3) 原告は、同月二六日、反応性うつ病に罹患したことから被告に対し病気欠勤する旨申し出、以後キミの勧めに応じて和歌山県立医科大学附属病院の新居延浩一医師のもとで通院加療を受けたが、同年三月二五日、同医師より就業可能との診断を受けたのでその旨記載された同日付の診断書を持つて出勤したところ、弘一理事長らは、原告に対し、右診断内容を無視して、「とにかく秋まで休め。療養に専念しろ。秋になつたら適当なポジションを捜しておいてやる。」などと言つて原告の就労を拒否して自宅待機を命じ、以後も、原告が出勤しようとすると、上月医事課長らがこれを拒否した。原告は、被告から賃金も支払われなくなつたので、被告を被申請人として金員仮払いの仮処分を大阪地方裁判所岸和田支部に申請したところ(事件番号五五年(ヨ)第一〇七号)、同年六月一九日、これを認容する決定がなされ、同年八月一三日には、被告も、原告に対し、就労するようにと通知するに至つた。

(4) ところで、被告の病院では、同五五年三月二三日、廣崎病院労働組合が結成され、原告もその一員としてこれに参加した。また、同年四月九日には、原告の復職を求める要求を第一項目に掲げた要望書が、三五名の職員の署名を得たうえで弘一理事長に提出されたが、弘一理事長は、右署名者らにその署名の撤回方をはたらきかけ、少なくとも二名からその旨の申出を受けた。

(5) 被告は、前記(3)のとおり、原告の就労を認めたものの、会計課長の原職には復帰させず、その代わりに大阪府下の福祉事務所や老人福祉施設などを毎日廻つて患者を捜してくるといういわゆる外廻りの仕事を命じて原告をその仕事に従事させたので、原告は、被告が自分を会計課長から降格させたうえ外廻りの仕事につけ他の職員との隔離をはかり、更に前記組合の弱体化をはかつているものとして、同年一二月四日、大阪府地方労働委員会に原告の会計課長職の原職復帰を求めて不当労働行為救済命令の申立てをなした。

(6) その後、被告は、昭和五六年六月二七日以降本件懲戒解雇に至るまで、原告に対し、本件出張命令を発し、看護婦募集業務に従事させた。

(三) 原告が従事していた看護婦募集業務の態様は、本件懲戒解雇に至るまでの全日数三四九日のうち延べ二六二日間出張していたもので、その出張日は、別紙(1)博多出張日程表のとおりであり、募集すべき看護婦の賃金等の労働条件に関しては、原告は、弘一理事長らから一切指示を与えられておらず(以上の点は、当事者間に争いがない。)、博多周辺所在の大学附属病院や国公立病院などを主に廻つて、廊下や待合所で看護婦に声をかけ、被告の病院に来る意思があるかどうかを確かめるという程度のものであつた。出張費としては、被告から原告に対し、一日の宿泊料約二七〇〇円及び昼食夜食代として各六〇〇円並びに電話代、交通費等が実費として支払われており、原告は、従来、新幹線を往復に利用し、福岡市中央区所在のビジネス平和台ホテルに投宿していた。

なお、本件出張命令の発令の仕方に関しては、弘一理事長らは、当初、原告が病院に出勤した当日にすぐその場で即日出張することを命じたこともあり、また、予め出発日を告知している場合でも、その終了日がいつになるかは出発日にならないと判明しない場合もあつたが、原告から病気、労働委員会や裁判所への出頭、法事、運転免許証の更新等の理由を付して予め有給休暇等の申請があつたときは、出張期間からその日をはずすようにしていた。また、弘一理事長らは、昭和五七年六月九日、原告に対し、当日と翌日の二日間の出張を命じ(この点は当事者間に争いがない)、原告が従前の交通機関を利用するかぎり、二日とも看護婦募集業務に従事できる時間は僅かに各一時間程度となる出張でもあえてこれを原告に命じた。

(四) 原告は、弘一理事長らに対し、出張から帰る毎に、出張の行程、時間、看護婦募集に赴いた病院名、その成果などを記載した簡単な報告書を提出していたところ、右報告書によれば、全く成果のあがつていないことが明らかであるにもかかわらず、弘一理事長らは、原告に対し適切な指示ないし指導をしたことは一度もなく、募集先について助言をすることもなかつた。

以上のとおり認めることができる。

ところで、廣崎キミ及び廣崎弘一の各本人尋問の結果中には、右(一)の認定事実に反し、現在にいたるまでずつと、病院の職員らに命じて、原告のような態様の連続的かつ頻繁な看護婦募集のための出張にあたらせてきたように供述する部分があり、前掲甲第二六号証の三の中にもこれに沿う部分が存するが、右出張者の氏名が必ずしも明確でなく(むしろ、廣崎キミ及び廣崎弘一は、この点に関する供述を避けているふしがみられる。)、また、右各出張者の出張報告書も証拠として提出されていないばかりか、前掲甲二七号証の一、二及び証人来住正一証言中のこの点に関する各部分にも反し、到底信用することができない。他に(一)ないし(四)の右認定を覆すに足りる十分な証拠はない。

2  右認定事実を前提にして検討するに、原告が命じられた看護婦募集のための本件出張命令は、その他の職員に命じられた出張命令とその態様を著しく異にし、出張日が間けつ的ながらも比較的に連続的で頻繁なこと、出張の延べ日数も初めて出張を命じられてから本件懲戒解雇を受ける前日までの全日数三四九日中の二六二日(全体の七五パーセント強にあたり原告に多大の犠牲を強いるものである)にのぼること、他方、原告は、被告から看護婦の労働条件に関して予め概略的な指示すらも与えられておらず、その結果、主として各病院を廻つて看護婦に声をかける程度のことしかできなかつたこと、また、弘一理事長らは、成果が全くあがつていない旨の報告書の提出を受けながら、原告に対し、成果をあげるための適切な指導ないし助言をしたことは一度もなかつたことなどの事実に照らすと、弘一理事長らは、少くとも原告を被告の病院にできるだけ出勤させないでおこうとの意図のもとに、看護婦募集の効果のあがることなど余り期待せずに本件出張命令を発していたものと推認でき、更に、前記1(二)(1)ないし(5)認定の事実関係をも考え併せると、被告がかかる出張命令を発した真意としては、原告が長期の病欠後、裁判所や労働委員会に被告を相手方として救済を申し立て被告と抗争したことなどから、弘一理事長らは、原告に対し、嫌悪の情を抱き、これに対する報復をし、あわよくば、原告が本件出張命令に従うことに嫌気をさして任意退職することを申し出るのを期待して本件出張命令を発していたものと推認することができる。

そして、右に加え、被告においては、従来、病院の職員に命じて看護婦募集業務にあたらせるとしても、その態様は前記1(一)認定の秋口や春先に看護学校等を廻る程度であること、前記1(二)(5)認定のとおり、原告は、病院での就労を認められた後、大阪府下の施設を廻つて患者を集める仕事に従事していたが、約一〇か月の短期間で今度は遠方の博多への看護婦募集の仕事をさせられるに至つたものであること、そもそもこのような仕事をさせることに関し、昭和四五年の就職以来約一〇年間にわたつて会計事務を担当してきた原告に適格性があるのかどうかその人選の合理性について納得できる主張立証がないことなどに照らすと、被告の病院において慢性的な看護婦不足の状況にあつたことは一応認められる(前記1(一))ものの、原告をして昭和五六年六月二七日以降、原告のやつていたような態様での看護婦募集のための出張を命じる業務上の必要性が被告に存したものとは到底認められないというほかない。被告は、募集の方法としては、単に広告や既成の人脈を頼るという方法だけでなく、直接現地に赴いてその状況を把握し、新しい人脈を形成することが大事であつて、そのためには地道に何度となく出張を重ねて努力する必要があるとして、本件出張命令の態様には何ら違法性がない旨主張するが、前記1(三)(四)認定のとおり、原告がやつていた募集業務のやり方は、博多周辺の大学附属病院や国公立病院などを主に廻つて、廊下や待合所で看護婦に声をかける程度のものであつて、新しい人脈を開発するというものには程遠く、弘一理事長らも、原告作成の報告書を通じて、これを知つていたにもかかわらず、新しい人脈を開発するために必要な助言などを一切せずに漫然と出張命令を繰返していたものであつて、結局、被告の右主張は、本件事実関係の下では妥当せず失当である。

3  以上の検討によれば、本件出張命令は、原告主張のとおり、原告に対する報復をし、ひいては原告が本件出張命令に従うことに嫌気をさして任意退職を申出ることを期待してなされたものであり、被告主張の業務上の必要性に基づくものとは認められないから(抗弁2は、理由がない。)、業務命令権を濫用したものというべきである。

三次に、請求原因3及び4について検討する。

1 〈証拠〉によれば、原告は、本件出張命令を拒否した場合に予想される懲戒解雇等の処分を危惧して止むなく本件出張命令に忍従してきたこと、そして、本件出張命令を発せられていた当時、妻並びに小学五年生及び三年生の二人の子供をかかえていたこと、本件出張命令の期間及び出張日は、前記一のとおり、別紙(1)博多出張日程表記載のとおりであるところ、出張の延べ日数は右期間の全日数中の七五パーセント強にあたり、また、出張日の中には、日曜日が合計二七日、土曜日が合計三三日も含まれていること、その結果、原告は、出張中妻との語らい、子供らとの接触の機会を奪われ、家庭をめぐる諸行事にも参加できない場合があつたことがそれぞれ認められる。

そして、家族との生活の平穏は、人格的利益の一つとして、不法行為において法的保護を受けうる利益の一つと解すべきである。

2 原告が、本件出張命令に従事したことによりその人格的諸利益を害され、精神的苦痛を被つたことは容易に推認されるところ、右精神的苦痛に対する慰謝料は、右1の事情の外前記二1(三)認定の、被告が、原告から病気、労働委員会や裁判所への出頭、法事、運転免許証の更新等の理由を付して予め有給休暇等の申請があつたときは、出張期間からその日をはずすように配慮していたことなどの事情を考慮しても三〇万円とするのが相当と思料する。

四よつて、原告は、被告に対し、不法行為にもとづく損害賠償として三〇万円及びこれに対する右不法行為の後である本件訴状送達の翌日(昭和五七年一二月三〇日)から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める権利を有する。

第二地位確認及び賃金支払請求部分について

一請求原因1の事実は、出張手当、努力手当、皆勤手当が所定時間の就労の対価として支払義務を負う賃金としての性格をもつとの点を除き、すべて当事者間に争いがなく、同5の事実は当事者間に争いがない。

二1  まず、原告が雇用契約上の従業員たる地位の確認を求める部分について、訴えの利益を欠くとの被告主張(抗弁1)について検討する。

原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、なるほど、原告は、本件懲戒解雇の後である昭和五七年一〇月二一日、医療法人仁泉会阪奈病院に就職し、昭和五九年一〇月ころから、経理課、医事課、栄養課の職員三五名を統轄する総務部長の地位についていること、同病院では、その採用当初から相当額の給料の支給をうけ、現在では、月額として三五万円の外年二回の賞与の支給を受け、その他の待遇も被告に勤務しているときより相当良いこと、そして、同病院での仕事内容にも満足しているので、現在被告へ復職するつもりはないものと一応推測することができる。しかしながら、原告が地位確認の訴えを維持し、被告がこれを争つている以上、依然として確認の利益は存するというべきであつて、原告が右訴えを維持している理由が現実に被告に復職するということ以外のものであつても右利益の存在に消長をきたすものでないと解する。

よつて、抗弁1の主張は失当である。

2  次に、抗弁3の主張について検討する。

被告は、原告が医療法人仁泉会阪奈病院に就職してからの前記1認定の原告の勤務条件、勤労意欲ないし態度などからして、原告は被告に対し、退職する旨の黙示の意思表示をなしたものであると主張するが、主張の事実関係から直ちにかかる意思表示をなしたものであるとまでいえないのみならず、原告が被告に対し、昭和五七年一二月二五日に本件訴訟を提起し、現在に至るまでこれを維持している以上、かえつてかかる意思とは相容れない態度をとつているものと認められるのであつて、結局抗弁3の主張も失当である。

三そこで、抗弁4について判断することとする。

1  抗弁4(一)のうち本件懲戒解雇がなされたことは当事者間に争いがない。

2  同4(二)の事実に関しては、〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 原告は、昭和五七年六月七日午後四時三〇分ころ、看護婦募集のための博多出張を終えて被告の病院に帰院した際、被告理事キミから、次回の出張は翌々日の同月九日と一〇日になる旨告げられ、同月九日午前八時三〇分過ぎころ、病院に出勤して事務室の自席についてから、キミらから右出張に赴くように命じられたにもかかわらず、約一時間にわたつて自席に座つたまま本をひろげたり、居眠りするような姿勢をとりながらこれを拒否し続け、事務室と内科の診察室の間を往き来し、事務室に出たり入つたりしていた弘一理事長からこれを見とがめられ、出張が決まつているのに何をしているのかなどと注意された際、弘一理事長に対し、「断つとるやろ。」、「わしは黙つているのに勝手にほえやがつて。」と口汚く対応するような場面もあつた。これに対し、弘一理事長らも、原告に対し、「まだ座つておるのか。」、「ゴミみたいな男だ。」、「さつさと行かんかつたら、つまみ出すぞ。守衛を呼んでこい。」などと言つて対応し、最終的には実力で原告を病院外へ連れ出そうとする気配を示したので、原告は、予め本件原告代理人の指示もあつて当日持参していたテープレコーダーを取り出し机の上に置いたところ、キミがのぞきこんでこれを認めるや否や、「こちらによこしなさい。」と言つて小走りに原告の方にむかつてきたので、原告はそのスイッチを入れた。

(二) キミは、原告の机の上のテープレコーダーを左手で取り上げたところ、原告は、自席から立ち上つて一、二歩前に出て自分の胸をキミの左肩のあたりに突き当てるようにしてキミと正対し、キミの持つているテープレコーダーを取り戻すべく、キミの左前腕部付近を強く手で握つてひつぱつたので、キミの体が自分の方に移動した。そして、原告は、右手でテープレコーダーの本体部分をつかんで手前にひきこれを取り戻そうとしたところ、キミがテープレコーダーを離さなかつたので、これを離そうとしてキミの左前腕(膊)部を手拳で殴打する等してキミともみ合う形になつたが、その際原告は、左手でキミの左手指をつかみながらその左手掌に巻きついたテープレコーダーの把手のひもを相当程度強くひつぱつたりしたので、キミの手の甲にひもがかかつてしわが寄る状態となつたけれども、キミは、特に痛いなどと悲鳴をあげることもなく黙つたままであつた。病院の人事係職員の東野和義は、キミと原告とのもみあいが始まつたころ、失踪宣告を受けていた藤田久秀という患者が前日の夜死亡した件で福祉事務所から電話がかかつてきていたので応待をしていたが、それをすませて自席に戻つたところ、右もみあいを見た弘一理事長から止めに入るように命じられたので、原告の背後から近づきその右手をつかみながら、「吉本さん渡しなさい。」と声をかけたところ、原告がこれをふりほどこうとして体を左廻りに回転させたのでテープレコーダーのひもがキミの左手掌にかかつたままひつぱられるような状態となつたが、その拍子に既にゆるんでいたテープレコーダーの電池入れの蓋が床に落下した。原告がこれを拾おうとして腰をかがめたので、キミと原告との右もみあいは終了した。

(三) その後、原告は、取り戻したテープレコーダーに蓋をはめ再び机上に置いたので、キミはこれを取り上げて自席に戻つたが、その際、キミは原告の方に自分の左手を差し出して見せながら原告の暴力により負傷した旨告げた。キミの左環指と小指からは少量の出血がみられ、また、キミの着ていた白衣にも血痕の付着していることが認められた。そして、キミは、インターホーンで川津真と佐々木亀雄の二人の警備員を事務室に呼び、原告が暴言暴行をはたらいたから直ちに退出させなさいと告げて、同日午前一〇時一三分ころ、二人に原告を退出させた。

(四) キミは、直ちに被告病院の内科医師長浦友裕から負傷箇所の応急手当を受けたが、その後被告代理人らに相談したところ、第三者的な立場の医師の診断を受けた方が良いと勧められて、翌一〇日、弘一理事長の紹介で古家外科医院の古家定継医師の診察を受けた。キミの負傷の程度は、左環指及び小指挫創、左示指挫傷、左前膊部及び手背部挫傷兼血腫というもので、約二週間の治療を要すと診断され、右傷口は同月二三日ころには治ゆした。

なお、当日、原告もキミともみあつた際、右環指に一か所、左親指に二か所爪によると思われる全治約三日間の擦過傷を負つたものである。

以上のとおり認めることができる。

ところで、右認定事実に反し、廣崎キミは、前掲甲第二六号証の一ないし三、乙第一一号証において、同女がカセットテープを取り上げて背を向けて自席に戻ろうとしたところ、原告が背後から体当たりを加え、同女の左腕を引き寄せたうえ、テープレコーダーのひもを同女の左手指に巻きつけ右手で力の限り締め上げたので、そのひもが同女の左環指に喰い込み、左示指の筋肉にも喰い入つて骨にまで達している状態にまでなつた、自席に戻つて左手を見ると、その甲が全体的に血のりでべつとりとした状態となつており、掌の方にも血がまわつていた、負傷状況に関しては、左環指の腫れがひどく昭和五七年八月末まで腫れがひかなかつた、暴行を受けた当日三八度五分の熱がでて三日間発熱が続いた、左環指及び小指がしびれるので、同年一一月一五日古家医師の治療を受けた後もずつと被告の病院においてマイクトロンをかけ電器療法を続けている旨供述し、更に、本人尋問においても、右供述内容を維持したうえで、現在でも左環指及び小指の神経がつるような感じがする旨供述しているが、右供述内容は全体的に大げさすぎるとの感を否めないうえ、原告が右手だけを用いて本件テープレコーダー(検甲一号証)のひもをキミが供述するほど強く締め上げることができるものとはにわかに考えられないこと、本件テープレコーダーのひもには血痕の付着が見られず左手指にひもが喰い込んで骨にまで達したとの供述内容と符合しないこと、左示指の傷については、キミが当日診察を受けた長浦医師が挫創があつた旨診断しているものの、翌日診察を受けた古家医師は、右傷について診断書にもこれを記載しておらず、結局左示指の傷は軽微なものにすぎなかつたものとうかがわれるのに、キミは前述のとおりこれに反する供述をしていること、そもそも長浦医師も古家医師もキミの傷害に関しては、当初約二週間も治療すれば治るとの所見を有していたもので、キミの供述する受傷内容とはその程度を著しく異にするものと考えられることなどを考慮すると、キミの前記供述は、客観的な事実に相反し、長浦医師、古家医師の当初の診断内容とも矛盾するものであつて、到底信用できない。

また、〈証拠〉の診断書には、昭和五七年六月一〇日から同年一二月二四日までキミの左環指などに圧痛、疼痛が残存している旨の記載部分があり、証人古家定継もその旨証言するが、いずれもキミの所訴をそのまま記載し供述したものと思われ、キミの供述内容が前記のとおりそのまま信用できないものである以上、右記載部分及び証言部分も直ちに信用することはできない(なお、〈証拠〉によれば、昭和五七年七月一〇日ころ、キミの左環指の受傷箇所とは異なる末関節の外側に紫色の出血斑が出て、更に、同年八月五日にはキミの左環指が一一五度に屈曲したまま曲がらなくなつたことが認められるが、そもそも前記認定の暴行の態様からかかる傷害が生じうるとは通常考えられず、また、受傷時から約一か月以上経つて受傷箇所と異なる部分に出血斑が出てきていることなどを考慮すると、右傷害と原告の暴行との間には相当因果関係がないものと考えるのが相当である。)。次に、前掲乙第二四号証のカルテにも、暴行を受けた当日以降同年九月三〇日までキミの左手の治療を続けた旨の記載部分があるが、証人長浦友裕の証言によれば、右カルテにある「W、V、処チ」とは傷を消毒して処置したということを意味するものと認められるところ、右カルテによると同年七月一三日までかかる処置がとられていたことになるが、前記(四)認定のとおり、キミの傷口は同年六月二三日ころには治ゆしていたものであつてそれ以降消毒による処置を必要としない状態にあつたと認められるのにこれに反する記載が右カルテになされていること、また同証言によれば、右カルテは全て長浦医師が書いたものではなく弘一理事長が記入した部分もあることが認められ、全てを同医師の診断内容として措信することができないことなどを考慮すると、右カルテの記載部分も前記認定事実を超える部分に関しては直ちに信用することができないものといわざるを得ない。

次に、原告本人の供述内容について検討するに、原告は、〈証拠〉において、原告は、キミがテープレコーダーを取り上げようとむかつてきたので、とつさにテープレコーダーを持つて立ち上がつたところ、キミが両手をさしこんできたのでとられまいとする原告ともみあいとなつた、しかし、テープレコーダーのひもをキミの左手にかけて締めあげるようなことは全くしていない、キミと原告とのテープレコーダーの取りあいは、電池入れの蓋が床に落下したことで終了した、キミの左小指の腹の部分に血をこすつたような跡があつたが、それは原告の指の怪我の出血がついたものであつて、キミが負傷していたものとは考えられない旨供述するが、〈証拠〉によれば、キミが前記認定(四)のとおりの傷害を負つていたことが認められ、更に、〈証拠〉によれば、当時キミの着用していた白衣に血痕が付着していたことが認められるので、右各事実によると原告の暴行によりキミが前記の受傷を被つたことが推認できるところであるが、更に、証人東野和義は、止めに入つた際、原告のつかんでいたテープレコーダーのひもがキミの左手にかかつており、同女の左手甲にしわが寄つている状態になつていた旨明確に証言し、〈証拠〉にも右内容に沿う記載部分があるのであつて、右各証拠に照らしても、原告の前記供述は信用することができない。

そして、他に前記(一)ないし(四)の認定事実を覆すに足りる十分な証拠はない。

3  そこで、右認定事実を前提に、抗弁4(二)の点について考察する。

〈証拠〉によれば、被告の病院では暴行事件が起つた場合、入院患者なら強制退院、職員なら免職処分に付して病院の規律を保つていること、原告が暴行を加えたキミは被告の理事として原告の上司であり、また、当時の年齢が六〇歳の女性であつたことが認められる。

ところで、〈証拠〉によれば、被告の就業規則五六条及び五七条の規定内容は、別紙(2)のとおりであると認められるところ、原告が暴行事件に対し厳格な方針で臨んでいる被告の病院内において、六〇歳の婦人上司に対し、前記2(二)認定の暴行を加え、前記同(四)認定の傷害を与えた行為は、前記同(一)認定の経緯を考慮してもなおその態様、程度等からみて、右規則五六条七号に該当し、被告は右規則五七条五号を適用して懲戒解雇としての性質をもつ免職処分をしうる権利を有するものと判断せざるを得ない。

四次に、再抗弁の懲戒解雇権の濫用の主張について判断することとする。

使用者は、懲戒解雇に相当する事由がある場合においても常に解雇しうるものではなく、当該具体的な事情の下において、解雇に処することが著しく不合理であり、社会通念上相当なものとして是認することができないときには、当該懲戒解雇の意思表示は解雇権の濫用として無効になるものと解されるところ、〈証拠〉によれば、右解雇権の濫用の有無を判断しうる事情として、

1  発生に至る経緯

本件暴行傷害事件が発生するに至る経緯に関しては、前記三2(一)に認定した事実の外、被告が原告に命じた昭和五七年六月九日と一〇日の二日間の出張命令は、原告が従前の交通機関を利用するかぎり、出張当日も翌日も看護婦募集業務に従事できる時間は僅かに各一時間程度となつてしまう内容のものであつたこと(前記第一、二1(三)認定)、弘一理事長及びキミは、同年六月一一日は、両口通を原告とし、本件被告を被告とする大阪地方裁判所岸和田支部昭和五五年(ワ)第三〇一号雇用関係存在確認賃金支払請求事件の証人として原告が出廷する予定となつており、同月一六日には両口通及び原告を申立人とし本件被告を被申立人とする大阪府地方労働委員会昭和五五年(不)第七五号不当労働行為救済命令申立事件の審問期日が予定されており、原告が申立人本人として出頭する予定である(以上当事者間に争いがない。)ことを、予め原告からのその旨明示した有給休暇の申請により熟知していたにもかかわらず(右休暇の申請があつた点に関しては当事者間に争いがない。)、原告に対し、右二日間の出張命令を拒否するなら同年六月九日から同月一六日まで出張するように改めて命ずるとともに、この命令をも拒否する原告に対し、「用事があるなら、勝手に自分の金で帰つてくればよい。」、「賃金は出さん。職場放棄だ。そこに座つておつても職場放棄だ。」などと申し向けたこと、また、キミが原告のテープレコーダーを現認しこれを取り上げようと原告の方へむかつたころ、東野和義が前夜亡くなつた患者のことで福祉事務所と電話で応待していたことは前記三2(二)認定のとおりであるが、右電話の声は、当時原告と机一つ隔てて隣りあい、キミの机と向かい合つた机で執務をとつていた被告の参事来住正一には聴こえてこなかつたこと

2  暴行の態様及び傷害の程度

前記三2(二)(四)認定のとおり

3  濫用目的の存在

弘一理事長らが本件暴行傷害事件のきつかけとなつた前記出張命令を発した真意は、第一、二で詳細に検討したとおり、原告を嫌悪して報復をし、あわよくば、原告がそれまで命じられてきた出張命令に嫌気をさして任意退職する旨申し出るのを期待するところにあつたものと認められるところ、同人らは、同年三月一六日から同月二六日までの出張を含めて三回程度、原告の博多での行動を興信所に依頼して尾行させており、その結果報告書の記載とは異なり、原告が囲碁センターで遊んでいたことなどをつきとめており、更に原告に対する嫌悪感を深めていたこと

4  懲戒解雇の手続

被告は、原告に対して何ら弁明の機会を与えず本件暴行傷害事件の翌朝、出勤した原告に対し、いきなり免職処分通知書を手交したこと

がそれぞれ認められる。

以上の事実によれば、原告のキミに対する暴行は、キミにとりあげられた本件テープレコーダーを取り戻そうとしてキミともみあううちに発生したものであつて、極めて偶発的なものであり、右暴行の中には、キミの左前腕(膊)部を殴打したり、キミの左手掌に巻きついたテープレコーダーのひもを相当程度強くひつぱるなどいささか攻撃的と思われる暴行行為も一部みられないわけではないけれどもこれにしても、当日弘一理事長らが原告に対し嫌がらせとみるほかない出張命令を次々と発し、原告がこれを拒否し続けると実力で病院外に排除する気配を示し、更に、原告が同人らの態度に対抗して本件テープレコーダーを取り出すや、原告の意に反してこれを奪取しようとしたことに端を発しているものであつて、原告の行為の中に一部憤激にもとづくと思われる右のような暴行行為があつても、これをとりたてて原告のみを一方的に非難することはできないというべきである(なお、被告は、キミがテープレコーダーを取り上げようとしたのは、本来病院内にかかるものを持ちこむことが許されていないうえ、原告が録音し始めたころには、東野和義が亡くなつた患者のことで架電中であつたので、右電話内容を録音されてはならないと考えたためである旨主張するが、テープレコーダーを病院内に持ちこむことが一般的に禁じられていたことを認めるに足りる証拠はなく、また、前記1認定のとおり、右電話のやりとりが原告と机一つ隔てて隣りあい、かつ、キミと向かい合つて座つていた来住正一にも聴こえなかつたことからすると、キミが右電話の声が録音されるものと当時冷静に考えたこと自体不自然であるといわざるを得ない。)。そして、被告が原告を懲戒解雇したのは、弘一理事長らが従来から原告を嫌悪し、原告が任意退職する旨申し出るのを期待していたので、本件暴行傷害事件をきつかけに一気に原告を排除しようとの意図があつたからであると推認され、被告が原告に対し何ら弁明の機会を与えず翌朝直ちに本件懲戒解雇の意思表示をしていることは、右の証左でもあると判断される。

従つて、本件懲戒解雇は、キミの受傷の程度は必ずしも軽微なものとはいえないけれども、その理由とされた暴行の態様、暴行に至る経緯、解雇権の濫用目的の存在、適正手続の不履践等の観点からみて、社会通念上相当なものとして是認できないものであつて無効であると判断せざるを得ない。

五そこで次に、賃金請求権について考察する。

1  請求原因1のうち、出張手当、努力手当、皆勤手当の性格については、前述のとおり争いがあるところ、〈証拠〉によれば、出張手当は出張業務を中心として職務への精勤があつた場合に、努力手当は職務に対する努力があつたと認められる場合に、皆勤手当は欠勤が皆無の場合に、それぞれ被告がその裁量権を行使して支給する性格のものであつて、いずれも労務の提供がなされただけでは足らず、評価されるだけの現実の就労のあつたことが支給の前提条件となるものであることが認められる。

従つて、本件においては、原告は、不法行為にもとづいて右諸手当相当額の損害賠償を請求しうる余地があるのは格別、直ちに本件懲戒解雇の無効にもとづき賃金請求権として右諸手当の請求をすることはできないものと解する。

2  請求原因1のうち、本件懲戒解雇のなされた当時、原告が被告から雇用契約にもとづき毎月二八日限り一か月一六万円の本給及び職域手当の賃金を支給されていたことは当事者間に争いがない。

ところで、被告は、原告が昭和五七年一〇月二一日医療法人仁泉会阪奈病院に就職して被告に復職する意思を喪失したのであるから、右日時以降はかかる賃金請求権を失うに至つたものと解すべきである旨主張(抗弁5)するので、検討するに、労働者が労務の提供をしたのに対し、使用者が無効な解雇により一旦その受領を拒否した以上、まず使用者が右解雇を撤回するなどその受領拒絶の態度を改める措置をとらないかぎり賃金請求権は失われないものと解されるところ、本件においては、全証拠によるも被告がかかる措置をとつたことを認めるに足りる証拠は全くないのであつて、結局、被告の右主張は採用することができない。

(但し、前記二1で認定したように、原告は前記日時(昭和五七年一〇月二一日)に前記阪奈病院に就職し、その採用の当初から相当額の給料の支給を受け、現在では月額として三五万円の外年二回の賞与の支給を受けていることが認められるので、原告は被告に対し、前記日時以降は月額一六万円の六割にあたる月額九万六〇〇〇円の限度で賃金請求権を有するものというべく、抗弁5は右の限度で理由がある。)

3  以上によれば、原告は、被告に対し、昭和五七年六月分から同年九月分まで毎月一六万円の、同年一〇月分に関しては日割り計算した合計一三万七二九〇円、同年一一月以降は毎月二八日限り一か月九万六〇〇〇円の各賃金請求権を有することとなる。

六よつて、原告は、被告に対し、雇用契約にもとづき原告が被告の従業員たる地位にあることの確認並びに右雇用契約上の賃金請求権にもとづき、昭和五七年六月分から同年一〇月分までの合計七七万七二九〇円及び同年一一月以降毎月二八日限り一か月九万六〇〇〇円割合による金員の支払いを求める権利を有する。

第三結論

以上の次第であつて、原告の本訴請求は、そのうち、原告が被告に対し不法行為にもとづく損害賠償として三〇万円及びこれに対する昭和五七年一二月三〇日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め、更に、雇用契約にもとづき原告が被告の従業員たる地位にあることの確認並びに右雇用契約上の賃金請求権にもとづき七七万七二九〇円及び昭和五七年一一月以降毎月二八日限り一か月九万六〇〇〇円の割合による金員の支払いを求める限度で理由があるからこの限度でこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用し、仮執行宣言の申立てについてはその必要性があると認められないのでこれを却下して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中田耕三 裁判官木村修治 裁判官波床昌則)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例